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産業

ものをつくり、伝える

2017.04.09

水のきれいな島根の山里で、手仕事により豆腐をつくっている。地元産大豆使用、昔ながらの直火の釜炊き、山里の名前をそのまま冠し、「真砂のとうふ」と称し益田市のスーパー等で販売している。同じ棚に並ぶ今どきの豆腐とは味わいも、工程も一線を画する。しかし、豆腐は日々味わっていただければとの想いから、天を衝くような価格設定はしていない。

逆に、価格に転嫁できない想いを伝える食育等の体験活動を行っている。手仕事ゆえの時間や逡巡、反芻の道程の果てに見えてきた世界。地域の食文化や産業を地域で守っていくこと。しかし、その想いがうまく伝わらないもどかしさもある。

たとえば手間暇かけたモノづくりの話をするとする。その工程は人が経験や勘による作業を通じて行う。そもそも類似した経験のない方々にその困難さや技量等の情報を伝えたところで、何になろう。情報を単に伝えるだけでは伝わらない。想像力の土台や源泉となる経験値の低下が如実にあるように思う。

食品でいえば、加工された最終形による販売形態が増加した。モノをつくる過程が見えなくなり、完成に時間や労力を費やすことは、事業的には疎まれるようになっている。より早く簡単で失敗のない商品をつくることがよいことなのだ。しかし、それは本当に人々が望んでいることであり、これからも望み続けられていくことなのだろうか?

電子機器発展の恩恵により、情報の複製や伝達は容易になった。しかし、複製はあくまで鏡像の様につかみどころがなく、情報は伝達されたという表示はなされるが、どのように届いたのかは判然としない。どんなに情報の処理伝達技術が進歩しても、受け手の心が伴わなければ伝わらない。そして、時を費やすことでしか窯変し得ない事象については当然理解の範疇外だ。

文化の周辺にある、「文化のようなもの」とでも言おうか、そこが脆弱化していると思う。その再生は、人と人が介在した中で時間をかけて紡ぎあげていくほかないと考える。
 

有限会社真砂代表取締役 岩井賢朗