子供のころ、
四月三日になると城市明枝さんは同級生を誘って、
家の前の忠魂碑の丘を登っていった。
丘の上には満開の桜の木々があり、彼女達を囲む。
遠くの桜並木までも見れるこの場所で茣蓙を敷いて重箱をあける。
「母の作ってくれたその重箱が何よりもご馳走だったんですよ。」
益田の高校に通うころにはこの春の日の恒例行事はなくなっていた。
大人になった今では雑草抜きをする用事以外、その丘には登らない。
しかし、あの春の日に毎年重箱に必ず入っていた山菜入り巻きずしと遠くに見えた中学校の桜並木は
今でも鮮明に思い出せるのだという。