古来から禅院は山林のそばにあり、自然と寄り添うように生活してきた。その生活とは自然のあるがままを受け入れ、自分もまたその一部であるという考え方を根本に持つ。
これを「自然(じねん)」と呼んでいる。
簡単なようでこれが意外と難しいものである。
人はどうしても自我をもち、主観こそが自分のすべてになりがちだ。
これは決して悪いことではないと思う。
私もその一人であり、自己中心的に考えて行動している。
しかし、そんな私はなにか忘れてしまっていると私は思うときがある。
私が私に囚われるとき、気づかせて、振り返らせてくれるのは
より大きな自然の存在だ。
より小さな自然の存在。
ちっぽけな私をそれもよし、として受け入れてくれているのは
この世界のほうなのかもしれない。
・・・などと言うこと思いながら、窓から山々を眺め、豆腐の釜を煮炊きしている。
豆腐もまた禅院で愛された食材だったな、と釜に目をもどす。
禅の原風景がここにはあるのかもしれない。
日本の心の風景がここにはあるのかもしれない。